在宅ワークでキャリアを積み上げたい、はにこです。
私はブランク15年、転勤族の妻です。
これまでのキャリアはというと
転勤族の夫について行くために、新卒で入った会社を3年半で退職。
夫の海外駐在に帯同し駐在期間は13年。
その後日本に帰国してからも国内を転々とし
気づいたらパートすらしていない
ブランク15年のベテラン専業主婦に!
・社会から隔たれた疎外感
・お金を使うたびに夫に引け目を感じてしまう
・ブランクが長過ぎて社会復帰できる気がしない
専業主婦のモヤモヤを感じながら、
転勤族なのですぐに辞めることになるのかもしれないと思うと
パートにも踏み出せませんでした。
そんな私は今、在宅ワークという活路を見出し
社会復帰をして新しくキャリアを積み上げようと挑戦しています。
在宅ワークでキャリアを構築し
自分の名前で仕事をとれるようになること!
「あなたにお願いしたい」と言われる
社会で一人の人間として自立したいのです。
この記事では
どうしてこのような道を選んだのか。
経緯を含め、自己紹介をさせてください。
基本情報
・名前…はにこ
・職業…SNS運用代行(元 専業主婦、メーカーの営業事務)
・家族…夫、娘ふたり
・趣味…ハンドメイド、ドラマ鑑賞、映画鑑賞
・住んだ場所…東京都、千葉県、埼玉県、広島県、香港、タイ
少女時代
高齢出産の一人娘として、大人しかいない環境で育ったため
同年代の子といるより、大人といる方が居心地がいいと感じる子どもでした。
小学・中学:鼻につく優等生

小学・中学生の頃は、いわゆる優等生。
先生の言うことは1聞けば10わかるので
学級委員や不登校気味の子のお世話、問題児のお目付け役などをやっていました。
“先生にいいように使われている”とわかっていましたが、
頼られることがうれしくて、面倒なことをいくつも引き受けていました。
高校:楽しい!けど学力低下が止まらない

高校は価値観の近い人たちが集まり、とても楽しい学生生活!
一方、学力はどんどん低下し校内でのランクは下の方に…
地域でもトップクラスの進学校。
99%の人が国立か有名大学への進学を希望していました。
そんななか大学受験に失敗した私が合格したのは、滑り止めの女子短大のみ。
親の年齢のことや、コツコツ勉強できない性格を考えると、浪人は絶対無理。
4年制大学への編入制度があることを知り、短大に入学しました。
入学してからはサークル活動や飲み会に明け暮れる友達を横目に
授業はさぼらず、提出物をマジメに出し、ときには教授に媚びを売って
2年後には念願の4年制大学に編入を決めたのです!
まわり道をしたけれど、目標には到達。
ゴールできれば途中経過はどうだっていいのかも。
と思えた経験でした。
成人時代
就職:社会の一員に
自己アピールが苦手だったため、就職活動は難航。
そんななか拾ってくれたメーカーの営業事務として就職することになりました。
仕事内容は、10人ほどいる営業の事務まわりをサポートすること。
外回りが苦手な営業に
「俺もホントははにこさんみたいに切手を舐めていたいんですよ~」
と言われたときには、なめられたものだなとイラっとしましたが
営業の面倒事を一手に引き受けることで
営業が外回りに集中できる環境ができていると思うと、
自分も社会に貢献できていると実感できました。
それなりの仕事量で、それなりの給料。
ずっと勤めていくつもりで、それがちょうどいいと思っていました。
結婚:退職→駐在妻になる
お付き合いしていた人の海外転勤がきっかけで結婚。
家族同伴が会社のきまりだったので、半年後に退職して帯同生活がスタートしました。
廃人生活:やることがない
夫を朝早く見送り、軽く家事をしたら、もうやることがない。
はじめての場所で知り合いなし。近所の散策も一週間もすれば飽きる。
専業主婦になり、お金を使うのも気が引ける。
近くのスーパーに行く以外は、家に引きこもるようになりました。
日本にいる家族と友人に向けて“生きてます”と伝えるための日記ブログを書き、
そのあとはアニメ・ワンピースを1話から順番に見る。
気づいたら窓の外が真っ暗になっていて、あわててスーパーに夕食の材料を買いに行く…
廃人のような生活で
「私は何のためにいるのだろう」「私の存在意義は?」
と何度も自分に問いかけるようになりました。
現地でお仕事をはじめる方もいらっしゃいますが
現地法人に採用されるほどの語学力は無く、就労ビザを取るのは難しい状況でした。
母になる:求められる幸せ

子どもができ、やることがたくさんある生活に!
手伝ってくれる人はおらず、海外で気を張る場面も多かったですが
ママとして全面的に求められ、私の存在意義ができたのです。
それからの10年は母として子どもに全力を注いできました。
母としての存在意義!
子どもを通じてお友達もでき、
悪戦苦闘しながらも楽しいママライフを過ごしました。
日本に帰国:転勤族生活の幕開け
(季語が無い娘作の俳句です。)
日本に帰国してからは、順応するための準備が必要でした。
海外からの引越し荷物が届くのは3ヶ月後。
それまでは段ボールやスーツケースをテーブル代わりにしてご飯を食べることも。
小学生の中・高学年になった子ども達にとって、はじめての日本生活。
日本の学校特有のきまりや同調しなければならない雰囲気…
「上履き」を知らない、「ラジオ体操」もできない子は絶対浮くに決まっている。
イジメに合うことも覚悟し、私がサポートしなくてはと思っていました。
夫は日本に帰ってからも1・2ヶ月単位の長期出張があり、1年の半分は完全ワンオペ状態。
働くことを考えていましたが
子ども達が生活に順応することを第一に考えると
まだ難しいと感じました。
しかもまた来年は海外かも…なんて不確かなことを言われ
仕事を探す気持ちが萎えてしまいました。
1年で引越し:なかなか落ち着かない

夫が転職することになり、地方への引越しを余儀なくされることに。
やっと1年経過し慣れたところで、また生活基盤を作り直すことになりました。
引越し荷物の整理、役所手続き、子どもの学校手続き…
引越すことが当たり前になったせいか
いつのまにか家族の順応スピードは明らかに速くなっていました。
社会復帰時代
子どもが成長:暇になる
引越しから半年くらい経ち
ふと気づくと「私、暇かも…」と思ったのです。
家族はそれぞれの場所で順応し、私のサポートは必要なくなっていました。
また私の存在意義を見失いそう…
私も仕事をしよう!
今できることに手をつけ始めます。
・ハンドメイド販売→資材や在庫が増えるところが転勤族には不向き。
・ハンドメイド講師→資格を取るも、対面事業は転勤族には不向き。
・単発派遣に登録→地方に事務職は無し。工業地帯へは車が無いと厳しい…
・パート→半年後に辞めることになるかも…
これだ!というものがない。
そんなときに見つけたのが、Instagramの運用代行でした。
きっかけはハンドメイドのアカウントを作るために
運用ノウハウが紹介されているアカウントを見始めたことです。
そこで知った、在宅ワークで働くという選択肢。
・パソコン1台で仕事ができる!→資材や在庫に悩まないで済む
・時間や場所にとらわれない!→転勤になっても続けられる
・なにより家で働ける!→家族をサポートすることも可能
しかもどうやら、スキル0からでもお仕事が取れるようになるらしい。
これしかない!と思いました。
でも仕事のとり方がわからない。
自分ひとりでコツコツ勉強することも苦手なので、スクールに入ることは必須でした。
在宅ワークに挑戦することに!
生まれて初めての自己投資をして
オンラインスクールへの入会を決めました。
妻でも母でもない、私になる
ずっと仕事を続けていたら、それなりのキャリアになり
自由なお金もあったかもしれない…
でも私は退職を選択して15年
妻・母として、まわりの環境に翻弄されながら生きてきました。
そろそろ私個人として自立し、社会の一員になりたい。
ずっと社会から離れていたけれど
また少しずつキャリアを積み上げて
会社員時代のように誰かの役に立ち社会に貢献できるようになればいい!
しっかりお仕事をした暁には、自由に使えるお金も欲しい。
挑戦することを決意して一年弱。
私は小さくながらお仕事を得て、在宅ワークを実現しています!
でも正直まだまだ学びも行動も足りません。
作業スキルは身についてきたものの
指名されるような立場にもなっていません。
私が社会復帰へ挑戦してきた軌跡と
もっと出来ることを増やし、仕事の幅を広げるために
現在学んでいるWebマーケティングについて発信していきます。
ブランクがあるマイナスの状態から、どのようにお仕事を取ったのか?
Webマーケティングを学ぶ過程でどんな変化があるのか?
果たして、自分の名前でお仕事が取れるようになるのか?
ときどき見に来てくださるとうれしいです。
転勤族で仕事を諦めている方や長いブランクに悩んでいる方の
希望となれるよう頑張っていきます!